27年ぶりの商店街…
- eishows999
- 2016年8月30日
- 読了時間: 6分
アクシスメソッドトレーナーの皆様、日々の活動、お疲れ様です。
昨日は、東京、名古屋、大阪以外で、はじめて体験セミナーを行ってきました。
場所は、徳島県です。
実は、徳島県は私のふる里。
徳島市のメイン商店街は、「東新町商店街」と言います。
私が学生の頃、よく遊びに行った商店街で、徳島市から40㎞、更に田舎に住んでいた私にとっては当時、「大都会」だと思っていた場所です。
この東新町商店街、その概要をウィキペディアで検索すると、次のように書いてあります。
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東新町は、1585年(天正13年)に入国した徳島藩祖・蜂須賀家政が、町人を相手にする商人を集めたのが始まりで、1630年(寛永7年)ごろには内町と並ぶ徳島一の商店街として栄えていた。
1934年(昭和9年)に丸新百貨店が開店し[2]、1971年(昭和46年)6月18日にはダイエー徳島店が開店するなど大型店も出店していた。
1970年代が全盛期とされ、1974年(昭和49年)には休日の歩行者数が約4万人を数えていた。
しかし、1983年(昭和58年)に当地区の核店舗となっていた丸新百貨店の約2.5倍の規模で徳島駅前に徳島そごうが進出したことから丸新百貨店と当商店街の衰退が始まった[2]。
1995年(平成7年)3月21日に丸新百貨店が、2005年(平成17年)にダイエー徳島店が閉店して核となる大型店が無くなり、2006年(平成18年)には映画館も無くなるなど集客施設が相次いで消失したことで衰退が決定的になった。
郊外のロードサイド型店舗が勢力を伸ばした影響で、徳島市中心市街地で1983年(昭和58年)で1位の商業販売を誇っている内町も売り上げを落としており、2001年(平成13年)に郊外の北島町に大型ショッピングセンター・フジグラン北島が開店した前後からはその落ち込みが一段と顕著になるなど郊外との競争に敗れたことも衰退の大きな要因となった。
また、明石海峡大橋開通後は神戸や大阪等への消費者流出が生じていることも打撃となった。
商店街の若者達がイベント等を開き頑張ってはいるが、根本的な活性化には繋がっておらず、同様の理由で衰退した他都市の中心商店街と同じく、商店街関係者達には独自色のある活性化策が求められている。
2012年3月18日、アニメを中心に上映するufotable CINEMAがオープンし、映画館が復活した。また、ポッポ街1号館(本館)からはアニメイト徳島(井上書房運営)が拡大移転(書籍販売フロアの新設など)した。アニメファンの来場による波及効果が期待される。
向かい側には西新町商店街があり、籠屋町商店街、銀座商店街と隣接している。
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なんか、重たい話ですが、実際、今回、セミナー前に少し時間があったので歩いてみると、商店街の半分以上のお店のシャッターが閉まっていました。
一緒に行った中尾理事が、「今日は日曜日だから閉まっているのですか?」と聞いたほど。
繰り返しますが、東新町商店街は徳島市のメイン商店街。
大阪で言えばなんなんタウン。東京で言えば渋谷です。
日曜日にお店が閉まるわけがありません( ;∀;)

20年ぶりくらいに商店街に行ったのですが、シャッター商店街になっているのを見て、寂しくなったものだと思いました。
でも、こうなった原因ってどこにあるのでしょう?
先ほどの概要にあったように…。
徳島駅前にそごうができたから?
ダイエー徳島店が閉店して核となる大型店が無くなったから?
映画館が無くなり、他の集客施設が相次いで消失したから?
いえいえ、違います。
厳しいようですが、商店街の皆様が、新しい環境に適応しなかったからです。
そごうが来て、そごうと勝負をしようとした。
でも、顧客が求めているのは、そごうでは手に入らない商店街ならではの何か。
それは、いったい何なのか?
核となる大型店が無くなったときも、映画館や、他の集客施設が相次いで消失したとき、集客できるお店にぶら下がらないで発展していくには、どうなるべきなのか?
そういったことを、脳みそに汗をかき、吐きそうになるくらい考えて、そのための行動を起こさなかったから。
そして、休日には4万人以上の人が訪れていた頃の勝ちパターンにこだわり、ダイエー徳島店、映画館や、他の集客施設が集客してくれることに依存し、変化していくことをしなかった。
商店街の若者達がイベント等を開き頑張っているようですが、おそらく、上の人たち(古くからいる経営者)を説得、巻き込み、協力を得ることができず、「頭が固いから」「反対されてできない」など、しょぼい言い訳をしながら、中途半端なことをやっているからですよね。
まぁ、最後の部分は想像なのですが、これまで多くの地域再生に関わってきましたので、どのような状態なのか手に取るように分かります。
さて…。
無常ですが市場を取り巻く環境は、刻々と変化をして行きます。
その変化に対応するための努力をするのが、経営者の仕事の大切な仕事。
だから、大手(そごう)ができることで市場環境が変わったら、今までのやり方が通用しなくなったことを嘆くのではなく、その環境下で発展できる自分になるには、どんなふうに変わるのかを考えるべき。
それに、集客はビジネスの生命線。
それを、他(集客施設)に任せるなんて、命の手網を、自分に責任を持とうとしない人に預けるようなものです。つまり、ビジネスで最もリスキーな選択なわけ。
そんなことをせずに、自分たちでも集客できるようにするには、何をすればいいのか考えればよかった。
それに、旧勢力は多くの場合、発展する際のブレーキにしかなりません。
その人達をブレーキではなく、これまで培ってこられた知識や経験を次に生かすための知恵袋にするための説得、そして、保守的な人達にパラダイムシフトを起こし、協力してみたいと思わせる事例を創り、魅せるための努力。
これは、商店街のような団体戦の場合、ある意味、最優先項目の一つでもあります。
厳しいようですが、そういうことを考え、行動してこなかった結果が、今の東新町商店街なのです。
だから、同情する余地は1㎜もありませんね。
そして、他山の石として、アクシスメソッドをスポーツ業界に、日本に、世界に広めようとしている私たちも、この事例から学ぶ必要があると思っています。
アクシスメソッド以外にも、スポーツマンの身体能力や結果を出すと謳っているトレーニング方法があります。その中には、メジャーなものもあるでしょう。
でも私たちが考えなければいけないのは、そういったものたちと戦うことではなく、その違いをしっかり顧客に伝えていくこと。
そして、既存の方法と住み分け、出来れば協力し合う方法を考えること。
それに、集客を依存してはいけませんよね。
協会としては、アクシスメソッドの認知度を高め、訴求をして行く段取りをしています。
でも、そういったものに関係なく、自分でしっかり集客できるよう、地域での認知度を高め、自分のところをブランド化していく活動をして行くべき、
それに、例えばプロの団体や選手に対し、「この人にアクシスを受けてもらえれば、自然と集客できるようになる」なんて考えるのもあまり良くないですよね。
旧勢力は、アクシスの場合は、まだないですよね。
協会は、皆様の成功をサポートする気、満々ですから(笑)
すっかりシャッター商店街になっている東新町商店街を見て、寂しいと同時に、「もし、この商店街のひとつひとつが、アクシスメソッドトレーナーの店舗だとしたら…」と思ったら、全店舗の半数近くが閉まっているのを見て、ぞぞぞっとしました。
やっぱり、できれば一人も漏れることなく成功!って形を実現したいですよね。
そのためには、協会が努力することは当然ですが、アクシスメソッドトレーナーの皆様にも自分を変えていく努力をしていただきたいと思っています。
共に成功を!
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